ドストエフスキー 『貧しき人びと』 (木村浩訳 新潮文庫) 読了
1864年Фёдор Михайлович Достоевскийの処女作『貧しき人びと』 «Бедные люди» 。批評家べリンスキーに「第二のゴーゴリ」と絶賛されたらしい。
あらすじ
貧しい下級官吏マカール・ジェーヴシキンと、貧しい不幸な少女ワルワーラ・ドブロショーロワの往復書簡。貧しくてもお互いに助け合って生きていきましょうと提案するマカールに対して、ワルワーラは最終的に生活の安定を求め、結婚し彼のもとを去ってしまう。
感想★★★☆☆
前半は「何がбедныйやねん?!この二人めっちゃ幸せそうやん」と思いながら読んでいましたが、最後までいくと、確かにБедные людиでした。特にマカールのお金がどんどんなくなってきて、ワルワーラにもばればれになったあたりは可哀想だし間抜けだし…。
この2人は実際に何度も会って散歩したりプレゼント渡したりしてるのに、その部分を一切描写せず、この本は「書簡」のみで構成されています。だからある程度その部分のことは読者の想像力にまかされているんですね。おもしろかったです。
それにしても…お互いに「愛してる」って言いすぎのような気がするのは、私が日本人だから?
1864年Фёдор Михайлович Достоевскийの処女作『貧しき人びと』 «Бедные люди» 。批評家べリンスキーに「第二のゴーゴリ」と絶賛されたらしい。
あらすじ
貧しい下級官吏マカール・ジェーヴシキンと、貧しい不幸な少女ワルワーラ・ドブロショーロワの往復書簡。貧しくてもお互いに助け合って生きていきましょうと提案するマカールに対して、ワルワーラは最終的に生活の安定を求め、結婚し彼のもとを去ってしまう。
感想★★★☆☆
前半は「何がбедныйやねん?!この二人めっちゃ幸せそうやん」と思いながら読んでいましたが、最後までいくと、確かにБедные людиでした。特にマカールのお金がどんどんなくなってきて、ワルワーラにもばればれになったあたりは可哀想だし間抜けだし…。
この2人は実際に何度も会って散歩したりプレゼント渡したりしてるのに、その部分を一切描写せず、この本は「書簡」のみで構成されています。だからある程度その部分のことは読者の想像力にまかされているんですね。おもしろかったです。
それにしても…お互いに「愛してる」って言いすぎのような気がするのは、私が日本人だから?
そんなわけで、わたしは自分が必要な、なくてはならない人間であることを知っているので、くだらない悪口でまごつくようなことはありません。鼠だってかまいません。もし似ているというなら、そうしておきましょう!ところがこの鼠は必要な鼠で、役に立つ鼠で、人に頼りにされる鼠で、しかもボーナスまで貰えるという――そういうすばらしい鼠なんですから!(p92)
Ну, так я и сознаю теперь, что я нужен, что я необходим и что нечего вздором человека с толку сбивать. Ну, пожалуй, пусть крыса, коли сходство нашли! Да крыса-то эта нужна, да крыса-то пользу приносит, да за крысу-то эту держатся, да крысе-то этой награждение выходит, — вот она крыса какая!
・вздор ばかげたこと
・толк 意味(=смысл) 本質(=суть) 利益(=польза) 噂話・сбить[св]- сбивать 落とす・倒す・だめにする・そらす
・сбить с толку кого ~を混乱させる・まどわせる
・коли = если
・сходство (=подобие) 類似
・держаться за кого ~につかまっている・すがっている
・награждение(=награда)表彰・褒美・報酬
ロシア語のソースはこちら
『地下室の手記』の鼠とは大違い!ww そもそも地下室の鼠はкрысаじゃなくてмышьか…
二人の「貧しさ」бедность・「不幸」бедаがどんどん悪循環してる。さいごワルワーラが結婚を選択したのは賢い選択肢だったのかな?情はあるが金はない男よりはね…
ただやっぱりドストエフスキーの代表作に比べると、毒が無さすぎで読み易すすぎる。そういう意味で全然「ドストエフスキー」的じゃないとも言える。マカールの自己卑下すぎるところなんかは好きだけど。。。
この作品はカラムジンの『哀れなリーザ』をパロディー化したプーシュキンの『ベールキン物語』をさらにパロディー化したものらしい。のでこの2作も読んでみたいです。
二人の「貧しさ」бедность・「不幸」бедаがどんどん悪循環してる。さいごワルワーラが結婚を選択したのは賢い選択肢だったのかな?情はあるが金はない男よりはね…
ただやっぱりドストエフスキーの代表作に比べると、毒が無さすぎで読み易すすぎる。そういう意味で全然「ドストエフスキー」的じゃないとも言える。マカールの自己卑下すぎるところなんかは好きだけど。。。
この作品はカラムジンの『哀れなリーザ』をパロディー化したプーシュキンの『ベールキン物語』をさらにパロディー化したものらしい。のでこの2作も読んでみたいです。
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カート・ヴォネガット 『猫のゆりかご』(伊藤典夫訳 早川書房) 読了
内容
原爆を発明した科学者に関する本を書こうとしていた主人公ジョーナは、その科学者の関係者を訪ねるうちにカリブ海にある島国サン・ロレンゾを赴くことになった。なぜかそこの大統領に任命され、科学者の子供たちが隠し持っていた水を凍らせてしまう物質アイス・ナインによって、最後には人類が滅亡してしまう。
感想★★★★☆
やっぱりカート・ヴォネガット最高!とくに架空の宗教「ボコノン教」の存在がユーモラスでめっちゃ魅力的!
それでいいんかいwww この3行目は素晴らしい。
ゼロ零ぜろ0!人間の存在に意味なんてないんだよなあ・・・何で私たちって生きてるんですかー?!
内容
原爆を発明した科学者に関する本を書こうとしていた主人公ジョーナは、その科学者の関係者を訪ねるうちにカリブ海にある島国サン・ロレンゾを赴くことになった。なぜかそこの大統領に任命され、科学者の子供たちが隠し持っていた水を凍らせてしまう物質アイス・ナインによって、最後には人類が滅亡してしまう。
感想★★★★☆
やっぱりカート・ヴォネガット最高!とくに架空の宗教「ボコノン教」の存在がユーモラスでめっちゃ魅力的!
ボコノン教徒としてのわたしの警告は、こうだ。
嘘の上にも有益な宗教は築ける。それがわからない人間には、この本はわからない。
わからなければ、それでよい。(p22)
それでいいんかいwww この3行目は素晴らしい。
私も悲観的楽観論者を目指そうかと思う。わたしの二番目の妻は、わたしが楽観論者にしてはあまりに悲観的だという理由で出て行ってしまい、部屋はあいていた。(p88)
私もこれから「生きていること」を副業にしようかと思う。ボコノンは副業を「生きていること」と書いていた。
本業を「死んでいること」と書いていた。(p141)
猫なんていないゆりかごもない!! すべてが無意味である!「おとなになったときには、気が狂ってるのも無理ないや。猫のゆりかごなんて、両手のあいだにXがいくつもあるだけなんだから。小さな子供はそういうXを、いつまでもいつまでも見つめる……」
「すると?」
「猫なんていないし、ゆりかごもないんだ」(p172)
わたしは、前夜読み終えた『ボコノンの第十四の書』を思いだした。『第十四の書』には、こんな題がついていた、「思慮ぶかい人間が、過去百万年の経験をつんだ、地球上の人類に希望できることは何か?」
『第十四の書』を読むには、大して時間はかからなかった。それは、単語一つから成っていた。
これが、それである――
「ゼロ」(p250)
ゼロ零ぜろ0!人間の存在に意味なんてないんだよなあ・・・何で私たちって生きてるんですかー?!
「どうなったんだろうと思うものはたくさんあるわ」とアンジェラ。(p254)
確かにどうなったんだろうと思うものってたくさんある。めっちゃある。
わたしは『ボコノンの書』を開いた。内容をまだそれほどくわしく知らないので、宗教的なやすらぎが得られるかもしれないと思ったのだ。『第一の書』の扉にある警告を、わたしは急いで読みとばした――
馬鹿なことはやめろ!すぐこの本を閉じるのだ!<フォーマ>しか書いてないんだぞ!
<フォーマ>とは、むろん、嘘のことである。(p269)
1ページ目にこんなことが書いてあるなんて、ヴェリ・ナイス。
訳者あとがきに書いてある通り、この本にはヴォネガットのとぼけた語り口の中で、どうしようもなく人間的な人々の悲しい物語が語られています。ぜひもう一回読みたい。あと、ボコノン教に改宗したい。
メモ
読みたい本 カート・ヴォネガット『プレイヤー・ピアノ』『猫屋敷のカナリア』『母なる海』『スローターハウス5』 Kurt Vonnegut "Cat's Cradle"
ハーマン・メルヴィル『モービイ・ディック』 ヴォネガットがこの本の有名な冒頭の一文をパロディしてるみたいなので。